?アニメ ひぐらしのなく頃に 第28話 『皆殺し編 其の壱 サイコロの世界』 について?※完全にネタバレですので、原作未プレイの人は出来るだけ続きを閲覧しないで下さい。私が勝手に創ったオリジナルアニメ風記事のつもりです。
まだ記事自体、完成していません…いずれ完成させます;
【 サイコロの世界 ?人生ゲーム? 】例えば、そう…、双六というゲームに置き換えてみるといい。
それは、サイコロという1?6までの限られた数字を使い、アガリと呼ばれるゴール地点まで
早く辿り着ければ勝ちという単純なゲーム。
そのゲームの中で、貴方は続けてサイコロの6の目を出したとする。
すると、どう? アガリと呼ばれるゴールに、より早く近づけるわよね?
でも、6を続けて出していくには相当の運が必要ね。
たとえ、6だけ出すという強運な展開を貴方が起こしたとしても、その道のりの途中にある、振り出しまで戻るとか、
現在の地点から?マス戻るという風な?罠?が必ず潜んでいるわよね。
逆に、1だけ続く弱運な展開だってあるのだから、それも一つの罠に嵌る要素よね。
つまり、双六は人生のようなものと言っても過言ではない。
貴方は今まで、この双六のような人生を客観的に見てきたはずよね。
そう、古手 梨花たちの物語を…。
罪滅し編をサイコロの数で簡単に表してみると、こうなる。
レナの過ち(1の目) ⇒ 圭一たちによるレナの救い(6の目) ⇒ レナの大石と鷹野との接触(1の目)
⇒ レナ豹変(1の目) ⇒ 圭一による罪の自覚(6の目以上の奇跡) ⇒ 圭一たちVSレナ(6の目)
⇒ レナによる罪の自覚(6の目以上の奇跡) ⇒ 雛見沢大災害(1の目以下の悲劇な祟り)
こうしてみると、人生って面白いわよね。
最初は上手く行かない最低な展開(1の目)があっても、途中からそれとは一転して
最高な展開(6の目)が起こる時もある。
そのまま最高な展開が持続すればいいのだけれど、また最低な展開が待っている可能性だってある。
そんな双六のような人生が繰り広げられている世界…、ここ雛見沢。
貴方たちの世界だって、そうよね。
私たちも貴方たちも常に同じ世界の下で生きている。
喜劇、悲劇、惨劇…。
この三種の人器(あえて人の器と記す)がある限り、世の中は変わり続ける。
だからこその人の世界。
変わらない世界だなんて、ちっとも面白くないわよね。
でも…、人生の中には決して変わらない?モノ?だって必ずあって欲しいわよね。
梨花たちが、いや、梨花が望む変わらないモノ…。
それは、無事に昭和58年6月以降の世界に辿り着き、いつもの仲間と共に、村人たちと共に楽しく過ごして行きたい…
そんな当たり前の願い。
雛見沢に存在する三つの錠前を外すには、ただ祈っているだけでは意味が無い。
まず最初に、常に一生懸命で前向きな姿勢で、たった一人だけ世界の終わりの時が解る梨花が、
惨劇を回避するような行動を少なからずも起こさなければならない。
奇跡は起きるものではなく、起こすものだと貴方は既にご存知よね?
サイコロの世界…。
梨花たちが振るサイコロの目…。
今回はどのように展開されていくのでしょうね、くすくすくす…。―――Frederica Bernkastel―――【 昭和58年6月からの物語 ?二週間の猶予? 】気付いたら、私は崖から転げ落ちていた。
それにより、レナ、魅音、沙都子、そして圭一が私の身の心配をするように、皆が一斉に声を上げていた。
私は皆の声が聴こえたので、全身は痛かったが起き上がろうとした。
『 いたたた…これは、一体何事なの…? 』
『 あぅあぅ…、梨花は皆と遊んでて、崖から転げ落ちたのです。 だ、大丈夫なのですか…!? 』
あぁ、もう一人だけ私の身を心配してくれた奴が居た。
この、あぅあぅ口調である彼女の名前は…、羽入。
彼女は、私以外は彼女の姿を誰も視ることが出来ない、私だけが視ることの出来る不可視の存在。
『 羽入…、そんなことより今日は昭和何年の何月何日なの? 』
『 えぇっと…、来週が綿流しのお祭なのですから…、えぇっとえぇっと……… 』
顔面蒼白になるくらい、私はそのあまりにも短い猶予に悔やんだ。
もはや、残された時間は限られている…つまりは…。
『 ………もう、僕たちの力も、これが限界なのです…。 』
羽入は謝罪の想いを含んだ言い方で、私に告げてくれた。
そう…、羽入の力もだんだんと弱まってきているのだ。
これはもう、どうにもならない、嘆いても仕方のないこと…。
『 別に謝らなくてもいいわ…。 …そっか、私はまた…殺されたのね…。 』
ぼんやりとした記憶が少しずつ私の脳裏に蘇ってきた。
あのレナによる学校占拠事件後、レナは警察に投降し、それからクラス全員は入江診療所で診察を受けた…。
幸い、私には怪我は無かったので、問診票には怪我をしていないと書いて、帰宅を許されたのだが…。
…そこからだ…いつもの最期の瞬間を迎える前に、必ず記憶がノイズ混じりとなって意識朦朧になる現象…。
いわゆる、乱暴な死に方により発生する瞬間的な記憶障害である。
だから解るのは、私が帰宅する途中か帰宅後かに誰かに襲われて、あっという間に殺されたということだけ。
私が記憶を整理していると、いつもの大切な友人たちが私の傍へと駆けつけてくれていた。
『 はぅ…、梨花ちゃん、大丈夫!? 』
『 どこが痛い? おじさんに見せてみて! 』
『 みぃ?…、大丈夫なのです。 頭の上にタンコブが出来ただけなのですよ…。 』
『 駄目ですのよ。 頭を打ったのなら、後遺症にもなっているかもしれませんし…、
一度、診療所で診てもらった方がいいですわ! 』
『 そうだな…。 念の為、監督に診てもらった方がいいな。 』
皆が心配をしてくれる…こんなにも………あぁ、何て幸せだろう。
そんな仲間たちといつまでも一緒に遊んで暮らしていきたい…、それだけなのに…。(記事切の為、ここまでです。短っ!)
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?アニメ ひぐらしのなく頃に 第27話 『皆殺し編 其の零 カケラ』 について?※完全にネタバレですので、原作未プレイの人はご注意下さい。私が勝手に創ったオリジナルアニメ風記事のつもりです。
今回は、ただの序章(語り)です。
【 皆殺し編 】私は言いました。
閉ざされた世界から抜け出して、開かれた世界を知りたいと…。
私は言いました。
ひたすら続く迷宮の扉に全身を強く打っても、開かれた世界を知りたいと…。
でも、私は嘆きました。
開かれた世界を求めれば求める程に、自身の身体に激痛が走っていくと…。
開かれた世界への好奇心と、全身の痛みが同等のものとなった時、
私は初めて、井の中の蛙の気持ちを理解しました。―――Frederica Bernkastel―――
【 三つの錠前 ?物語の初めに? 】鬼隠し編・綿流し編・目明し編・罪滅し編の世界たち…。
これらの世界で、前原 圭一が、または園崎 詩音が、あるいは竜宮 レナが、
疑心暗鬼となって凶行に走っていく…。
それぞれに共通するのは、その過程…凶行に至るまでのプロセス…。
つまり、「特定のされないランダムな人物が、疑心暗鬼に囚われて凶行に誘われる」
というルールXの存在があるということ。
これが、雛見沢に存在する最初の錠前。
次にルールYという強い意志で築かれた存在。
そう、「昭和58年6月(5年目)の綿流しの夜に、富竹 ジロウと鷹野 三四が絶対的運命で犠牲者となること」。
これは、ルールXとは無関係だけど、そうとは言い切れない。
考えてみれば解るけど、ルールXはルールYの富竹 ジロウと鷹野 三四の二人の死によって、
囚われた彼らは自分の身に危機が迫っていると曲解しているという点が付着している。
これが、雛見沢に存在する第二の錠前。
ルールXとルールYを無理に結びつけようと誘導している存在が、ここで居ることに気付く…。
つまりは、これが雛見沢の世界を歪ませている存在。
もう解ると思うけど、その存在とは、大石 蔵人と鷹野 三四という二人のコマ。
大石 蔵人…。
彼は、ダム現場監督の死を境に、ダム戦争を主導していた園崎本家が黒幕であると昭和58年まで信じてきた。
そう、彼は今までの惨劇の事件は、証拠の有無に関わらず、全て園崎本家が犯人であると決め込んできたということ。
この彼の偏屈な部分が、それぞれの世界での哀れな被害妄想者たちに少なからずも影響を与えていった。
それこそが、ルールXに囚われた者(犠牲者)たちへの鎮魂歌となり、疑心暗鬼の正体は
園崎家の陰謀のせいだという形で承知されていった…。
園崎 詩音………彼女こそが上記での一番の悪い例となる。
どう? だんだんと見えてきた?
つまり、大石というコマは間接的に惨劇を引き起こす役割を持った…、ある意味、何処の誰が付けたか
解らないけど、彼の通り名である「オヤシロさまの使い」というのもまんざらではないということになる。
そして、もう一つのコマ…鷹野 三四。
彼女も大石と同じ役割を持った存在。
オカルト好きな彼女は、自身の持つ研究ノートやスクラップ帖から雛見沢の暗黒史を誰かに話して、
怖がらせることを目的としている単なる娯楽者。
そのはずだけど、大石というコマの園崎家に対する偏執的存在の相乗効果で、更なる疑心暗鬼を
ルールXの犠牲者たちに植え付けてしまっている。
竜宮 レナ………彼女こそが上記での一番の悪い例となる。
さて、ここまで来れば、もう一つのルールが見えてきた頃でしょう。
「大石 蔵人と鷹野 三四という存在が疑心暗鬼に囚われた人たちに話してしまい、
彼らがそれを信じてしまうという二乗の疑心暗鬼という土壌の存在」。
それこそが、喜劇性の高いルールZ…、これが第三の錠前。
つまり、「園崎本家はどんなことがあっても、自分たちが黒幕であると振舞うというブラフの伝統の存在」。
彼らは、自らが黒幕であると村人たちに示す為に、あたかも全ての陰の部分の出来事を
自分たちが黒幕であるかのように「振り」をしてきた。
その結果、村人たちはダム戦争以来、常に園崎本家が全て仕組んだこととして容認していった。
ふふ…、そう…、そのルールZに囚われたのが、まさに大石と鷹野の二人のコマの存在ということ。
広義の意味では、村中全体が囚われていると言っても過言ではないわね。
ここで、導き出せる答えは何か、貴方には解るかしら?
くすくすくす…、解る訳もないわね。
いいわ、無理そうだから教えてあげる。
この雛見沢で起きる惨劇と呼ばれる事件の真犯人とは誰なのか…。
それは、前原 圭一や園崎 詩音といった「個人」ではなく、「環境」。
つまり、「ルールX」こそが真の犯人というわけなのよ。
もう、ここまで話せば、貴方は皆殺し編という世界に突入することが出来るかもしれないわ。
だって、ルールX・Y・Zという三つの不可視のルールを知っていれば、貴方は惑わされずに真実に
近づくことが出来るのだから。
あら、もう一つだけあったわね。
古手 梨花が富竹 ジロウや鷹野 三四と同じように、必然的に殺されるという結末。
貴方は三つのルールを知ったのだから、このルールがどのルールに基づいたものなのか、気付いたわよね?
そう、ルールYね。
この梨花が殺されるルールは、富竹と鷹野を殺した同じ人物、あるいは同じ集団。
はたまた同じ思想か、同じ目的か…。
ふふ、面白いことに気付いたかしら?
古手 梨花がルールYに囚われずに、ルールXによって、殺されてしまった物語のカケラを…。
そうよ、綿流し編と目明し編の世界ね。
梨花は、園崎 詩音というルールXに囚われた者に殺される、いや、自害もしたのだけれど、
一応は殺されたことになるわよね。
これは、ルールYの存在にとっては、誤算という形になるわよね?
ルールYは、強い意志と目的を持って、梨花を殺そうと狙っている。
だけど、それとは無関係のルールXによって遂行されてしまったのだから、
彼らには何らかの「動揺」があったかもしれないわね。
…私たちは古手梨花であるから、梨花が殺された後の世界なんて何も知らない。
もしかしたら、貴方は梨花が殺された後の世界…、そう…綿流し編と目明し編の世界では起こらなくて、
それ以外の世界、梨花の死後の世界の「在り様」を知っているのかもしれない。
知っていたとしたら、それこそが………ルールYの真実の一つとなるでしょう。
雛見沢を支配する三つの法則、ルールX・Y・Z。
ルールXとルールYの強い「悪意」の繋がり。
ルールZがルールXの「温床」となっている土壌。
さぁ…、そろそろ行きましょうか?
次の世界では、梨花たちがルールYに立ち向かっていく物語とだけは言っておくわ。
ルールZにも少しは触れるんだけどね…、どうなるのかは見てのお楽しみ。
ルールYの「悪意」の力は、あまりにも強大で、梨花一人の力だけでは到底どうにもならない相手でしょうね。
だからこそ、梨花の死は絶対的運命にあるのだけどね…。
今度は、一人の力だけではない…、また新たな世界のはずよ。
そうそう、大切なことを忘れていたわ。
以前の世界で、前原 圭一がルールXを打ち破ったことは、もう明白よね?
彼の奇跡の力が、梨花の心へ運命を変えることが出来る意志の力を植え付けてくれた。
そう、梨花は闘う意志をやっと見出したのよね。
今までは無駄無駄と諦めていただけだった存在なのに…。
とにかく、もう梨花の心の寿命は長くはない。
だって、私たちは単一世界を何度も何度も繰り返し、旅をしてきたのだから。
あら、ごめんなさいね、前置きが長くなりすぎたわね。
では、貴方も堪能して頂戴…、皆殺し編という世界を。
物語の「真犯人」…、つまりルールYの存在が明らかになることでしょう…。
表面上の真犯人かもしれないのだけれどもね…くすくすくす。(終)※綿流し編と目明し編は、同一の物語ではなく、一応は別々の物語でした。
以前に綿流し編(目明し編)と表記したことを深くお詫び致します。(ぁ<次回予告>「あぅあぅあぅ……。」
昭和58年6月…、二週間の猶予…
「…学校の屋根の上に…、上ったことを…覚えていますですか…?」
入江診療所 同じ部活 人形
「百点満点かな、かな!」次回タイトルは、 『
皆殺し編 其の壱 サイコロの世界 』 です。
今回は簡単に序章を述べただけですので、前回の記事の予告と同じになりました、ごめんなさい。